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6,7年前に、ある企画に参加しました。
自由参加で短編物語を書き、一定数集まったら、書籍化するという企画。
物語を書くにあたって、1つだけ条件がありました。
それは、「ウサギの目が赤いのは、感動の涙が止まらないから」というもの。
結局、その企画自体は、頓挫したようですが、私は当時、4つほど書きました。
最近、机の引き出しから出てきたので、懐かしさ恥ずかしさもありますが、掲載します。
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今年でもう最後にしよう。
初詣のとき、そう誓った。
私は来年で、30歳になる。
だが、一度も社会に出て働いたことがない。
小学生のとき、正義を貫くかっこよさを知り弁護士に憧れた。
弁護士になりたい!子ども心にそう思った。
その夢を全うすべく、「一流」と呼ばれる大学に入った。
法学部に籍を置いた。
司法試験の専門学校にも通った。
しかし、現実はそう甘くはなかった…。
夢は夢のまま、私の20代は、寂しく終わりを告げるようとしていた。
何も30歳になるからという理由だけで、あきらめるワケじゃない。
司法試験制度そのものが、大きく変わろうとしていた。
いわゆる既存のペーパーテストから、ロースクールが新設され、
今までの試験制度とは、受験生に求められる質・量そのものが変わる。
そこにも、やり切れない虚しさがあった。
19歳のときに出会った受験仲間は、6人いた。
そのうち4人は、25歳までに合格し、1人は司法書士へ鞍替えした。
いまだに受験の身であるのは私だけで、無職なのも、私だけだった…。
寒さがいくぶん和らぎ始めた3月ごろだったろうか?
かつての受験仲間の桐原から、突然、電話がかかってきた。
「近くまで来ているから飲まないか?」
あまり気乗りしなかったが、桐原の強引さに、
半ば押されるかたちで、指定された店へ向かった。
実に3年ぶりの再会であった。
仲間うちで、一番先に合格したのは、
実はこの桐原で、検事になっていた。
桐原の横で霞む私は、かつての受験仲間との再会というより、
人生の成功者と落伍者という構図に思えた。
「20代で本当の意味での、最後の試験になる。」
酔いにまかせて、桐原に言った。
「なに、言ってんだ。お前なら絶対やれるって!!」
「毎年、択一だって受かってるんだし、お前なら絶対受かるよ!」
「そう簡単にあきらめんなよ!」
桐原からの熱い激励が続いた。
(気安く言いやがって…。)
正直、イラッとした。
「お前なら検事にもなれるよ!」
私は思わず、立ち上がっていた。
「ふざけんなよ!!お前にオレの気持ちがわかってたまるか!!」
自分でもビックリするくらいの大声だった。
実家から仕送りされた1万円を叩きつけ、店を飛び出した。
その場に、いてもたってもいられなかった。
情けなかった。惨めだった。
2ヶ月後
ひと箱の段ボールが送られてきた。
ウサギのマークの「エール引越センター」のものだった。
中をあけると、ビッシりとA4用紙で埋め尽くされていた。
送り主を見ると桐原からだった。
その用紙は、司法試験の合格体験記を印刷したものであり、
ざっと500人分くらいはあった。片っ端から読み始めた。
合格するための時間管理・手法・論文合格のための論理思考・習得法から、
受験に向けた体調管理からモチベーションの高め方まで、内容は多岐にわたった。
たくさんの合格体験記を読み進めるうちに、私はあることに気づいた。
どの合格体験記も不思議と、ほとんど同じような言葉で、最後を締めくくっていた。
「私だって受かったんだ!!諦めなければ、あなただって、必ず受かる!!」
ボロボロ涙が溢れ出ていた。
いろいろな想いがこみ上げてきた。涙が止まらなかった。
ウサギが描かれた段ボールは、涙でぐしゃぐしゃになった…。
私は今年、33歳になった。
スーツを着ていた。
胸に、「ひまわりの金バッジ」を刺し、
自室でとある原稿を書いていた。
最後の行は、この言葉で締めくくった。
私だって受かったんだ!!
諦めなければ、あなただって、必ず受かります!!
ふと、脇にあったぐしゃぐしゃの段ボール箱を見た。
描かれていたウサギの目から、涙がボロボロと流れ落ちていた。
その日から、ウサギの目は真っ赤なままになりました…。
( 完 )
(この話はフィクションであり、実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
http://blog.goo.ne.jp/mentor1100/d/20060101
このコンセプトに触発され、考えました。