以前、弁護士の木山先生と宴席でご一緒した際、
木山先生が弁護士を目指された経緯などの話になりました。
その時、話の流れで、木山先生が「私は学生時代、勉強があまりできなかったんですよ~。」
という話をするやいなや、「え~~~??」、「またぁ~~~。」
と釈然としない表情で、周囲の人がいっせいに、突っ込みを入れた記憶があります。
先日、弘文堂から出版された
「小さな達成感、大きな夢―木山先生、今日も全力投球」木山 泰嗣 (著)
を読了しました。
この本は、これまでの木山先生が上梓されたものと一線を画し、
自伝的エッセイ本になっています。
この本の中で、学生時代、本当に成績が良くなかったことが
赤裸々に告白されており、これを読んで少し納得しました(笑)。
ただ、頭が良い悪い、成績がどうこうという意味合いとは違い、
興味のあるものには鬼気迫る集中力で関心を示すけれど、
自分が興味を示さないものには見向きもしない、恐ろしく激しいふり幅を持っている、
ということなんだろうと思います。
(※詳しくは本書をご覧ください。)
自伝的エッセイということで、幼少期から現在までを時系列で書いているかと思いましたが、
そうではなく、あとがきにもありましたが、それはあえて崩しているとのことでした。
しかし、流れのようなものは感じました。
序盤から中盤までは、「なるほど~。」と感心しながら、一部付箋を貼ったりしていましたが、
中盤から後半にかけてはクスッと思わず笑ってしまうエピソードが散りばめられており、
(※電車内で読むのは、やめましょう。)
そして、中盤からラストにかけては、ほろっと思わず涙腺にきました。
(※夜中にひとりで読むのは、やめましょう)
木山先生は、3人の賢人から特に、多くのことを学んできたように、
私はこの本から読み取りました。
1人目は、司法試験時代の予備校の先生です。
あとちょっとで司法試験の合格レベルに達するところまで来た時、
突然襲われる恋人との別れ。
「ごめん。好きな人ができたの。」
ほんと、青春は残酷です。
絶望にのたうちまわり、一睡もできず泣き腫らし、人生の選択を間違えたんじゃないのか!?
と勉強がまったく手につかなくなってしまった状況下で、
親切に毎日のように声をかけ、アドバイスしてくれた恩師。
しかもこの先生とは出会いが尋常ではなく、木山先生が今現在、
弁護士として後輩たちをサポートするキッカケになっています。
2人目は、現在のボスである鳥飼先生。
―1年目だとか、ベテランとか関係ない。堂々と自分の意見を言いなさい。―
―生意気と言われるくらいのほうがいい。もっとやれ。―
―本をもっと書け。ベストセラーを目指せ。―
なかなか、こういう言葉は、かけてもらえないように思いました。
3人目は、ご自身の父親です。
非常に厳格な父のもと、「1番を目指しなさい。」と常に言われ続けてきました。
―なぜ自分の可能性に限界をつくるんだ?―
―やりもしないで諦めるのか?―
―それは能力のある人間がとるべき行動ではない!―
1番をとれ!という結果を求めているのではなく、
1番を目指せ!という過程を求めていました。常に目線を高く、と。
社会に出ると、往々にして、人は結果でしか評価しなくなりますが、
自分自身にとって重要なのは、やはりプロセスなのだ、と改めて実感しました。
プラスアルファとしては、最後に出てくる祖母とのエピソード。
本当にグッときます。
孫の結婚費用にと貯めていたお金を司法試験の受験費用に、とわたすエピソードは、
司法試験がいかに難しく、時には周囲や家族をも巻き込み、人生をかけた大博打であり、
厳しいものなのか、という現実が伝わってきました。
最後に、私がこの本の中で好きなのが、
「伝わるのは熱意である。伝えるべきは熱意だろう。」
というフレーズ。